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  • 執筆者の写真Mana LAURENT

ピクニックとお弁当俯瞰

満々と花を抱えて悠然と立つ染井吉野も、春の雨と共に去る頃、東京中の人がそわそわしています。朝から玉葱のタルトを焼いていると「切って持って行くでしょう。その方がプラクティカルだからね。全部は要らないし」と夫。私は「そうね」とだけ応えます。

ピクニックには玉葱のタルトを焼く事が多いです。趣向を凝らした豪華なお弁当が昨今の料理屋さん方の腕の見せどころで、箱に詰めるは日本の魂、お弁当(と缶入りクッキー)はもはや日本人のソウルフードと言えるでしょう。私の夫はこの「お弁当」と言うものを好みません。


フランス人にニコニコしながら「お弁当が嫌い」と言われると、こんなものが自分の中に在ったのかと思われるような「民族の怒り」が沸々と込み上げて来ます。日本人の生活にはお弁当が欠かせません。お弁当と共にあると言っても過言ではないでしょう。あまりにも自然にこの事が浸透しているが故、私は夫がお弁当を苦手としている事に気付くのに五年もかかってしまいました。


今回はこの「お弁当が嫌い」と言う衝撃的なカミングアウト(本人は普通)をきっかけに、民族間の食の価値観の差を、桜、春の野辺などを眺めながら紐解いて行きたいと思います。

日本人にとってフランスの食事の温度がことごとく「ぬるい」事は大変有名ですが、これはほぼ事実です。(例外もあります。それは又別の機会に)しかしながら、この「ぬるさ」が繊細な配慮による温度である事にまでは想いが至りません。どうでも良いから放って置いてぬるくなった、のではないのです。


食事の始まりであるスープから、主菜の肉料理に至るまで、食事は彼等にとって適切な温かさで供されます。これは日本人が日頃食事に求めるような「熱々」や「焼き立て」の温度ではありません。例えば碗を掌で包み込めるような、お煎茶の温かさに近しいでしょうか。

昔々タモリさん曰く「フランス料理は温かいのか冷たいのかよくわからない」とは言い得て妙で、日本人には、何やら食べた気のしない生温かい食事です。しかし人と言うのは理解の範疇を超えた瞬間から、それに続く細部をばっさりと斬り落としてしまうものです。


斯く言う私も「熱々が食べられないのなら何でも良いのね、ご自由に」と、夫の食膳に放置された味噌汁を見て見ぬ日々を送りました。が、ある時、この興醒めの「ぬるさ」こそ、彼等が細心の注意を払って目指す温度帯である事を理解したのでした。

夫の両親は大変穏やかな優しい人々です。またフランスには「姑は嫁を苛めるもの」と言う概念が無く、息子を持つ母は、息子の妻の事を自分の娘のように誇らしげに自慢します。


夫の両親が日本の我が家に滞在していた時、ある晩に私は味噌漬けの牛肉をローストしました。単なるローストビーフではわざわざ日本に来た甲斐が無いと言うものです。食卓が整う前に、キッチンに準備された牛肉の皿を見つけた夫の父、ジャンマリーがニコニコしながら尋ねました。「この肉は温度はどれくらい?」

すっかり切り分けられてしまった主菜の姿を見て、不安に駆られたのでしょう。

私達日本人の家庭の食卓には、全ての料理が一堂に会します。汁物、主食、おかず、副菜、などなどを順繰りに「三角に」食べ進めることを子供の頃に教えられ、慌てて真っ先に味噌汁などを飲み干してしまえば、行儀が悪いと叱られたものです。


フランスに於いての食事は全く異なる方法で進行されます。前菜、スープ、主菜、と食卓の全員が食べ終わるまで、次の皿は登場しません。この過程で子供達は食べるスピードも躾けられます。前菜とスープが済むと、直前までオーブンの余熱でゆっくりと温められていた主菜が供されます。


スープすら配膳される前に切り分けられた肉、それはつまり、いよいよ主菜に取り掛かるという段ににそれは冷え切っている、と言う結末を示します。ジャンマリーは食事の主役である温かいローストビーフを楽しみにしていたのです。

結果から言えば、この風変わりな味噌漬けの牛肉はジャンマリーに大変気に入られ、妻のモニークに叱られるほどおかわりをしてくれたので、私は安心する事となりました。


私達日本人はローストビーフにどのくらいの温かさを求めるでしょうか。時としてそれは冷菜扱いかもしれません。パーティーで、最初から最後まで出しっぱなしでも、ローストビーフは立派にご馳走の顔をしています。


私達が日々何気なく行う決定、習慣に乗っ取りほとんど無意識に決定される「食事の適切な温かさ」と言う価値の基準に、民族間ではこれ程までに隔たりがあるものかと、私はこの時新鮮な驚きと発見を得たのでした。

「でも、例えば…」と、先日のCREAで私達の記事を執筆して下さった北村美香さんがこう仰いました。私達が夕食の席に着いて、すっかり冷め切った味噌汁と白米、カチカチの塩鮭が並べられたらどうでしょうか。なるほど、それは愕然とするでしょう。落胆のあまり、それを侮辱と受け取るかもしれません。


しかし、ここからが日本人の極めて特殊な価値観となりますが、私達は冷め切った食事が四角い箱の中に収まった途端に、それを「お弁当」と称して重宝するのです。(コンビニで温めたり教室の暖房器具の上に乗せられたお弁当はこの際割愛します)食卓では侮辱とも成り得るものが、入る器が変わるだけでご馳走となる、これこそ価値観というものです。


フランスには冷め切った食事を箱に詰めて食べる習慣はありませんから、夫はお弁当が苦手です。以前日本語学校で、後に親友となるインドネシア人のセイイチ君を「毎日箱に米を詰めて持って来て、教室でそれを食べる変な男がいる」と言い表していた事もありました。


日本人は幼い頃からお弁当を食べて育ち、女性による手製のお弁当とは、愛情と倹約、良妻賢母を表す象徴的な存在でもあること、毎日、何年、何十年と、多忙を押してお弁当を作る人の美談が日本人には大変好まれること、などを改めて解説する日が来るとは予想していませんでした。

私がピクニックに玉葱のタルトを焼くのは、それがこの隣に居る旧式のフランス人が、冷めた美味しさを楽しむ事の出来る最適の食事だからです。


かくして四等分に切り分けられたタルトの、ひとつは家を出る前(冷める前)に消失、白い可憐な大島桜の樹の下で、ひとつずつ。「予備」として持参した最後のパートがある事を知って夫は大喜び。空になったお皿に、今度はポテトサラダ(日本式)を山盛りにして食べています。


ちなみに我が家では、食事一回あたりに消費されるポテトサラダも、日本人の概念を打ち破る量であります。











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