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執筆者の写真Mana LAURENT

『スパイスキャンプ』撮影後記その一

『スパイスキャンプ』薫る至福のスパイス料理 伊藤一城著 文化出版局より発売中

「伊藤さんて、一体何者…」

秋の西陽がかっと照り付ける五光牧場オートキャンプ場の広大な草原で、焚火に向かい一心不乱に料理する伊藤さんにカメラを向けてチャンスを狙っていると、傍に居た編集の浅井さんが呟いた。「人気者です」と私は即答しました。


押上のインド料理レストラン「スパイスカフェ」のシェフ、伊藤一城さんに出会ってから、もう十年近く経つのではないでしょうか。そこから更に遡ること五年前、私は雑誌「ミセス」の取材で「東京スパイス番長」なるユニットを知り、東京のインド料理界で「ムーブメント」とも言えるような胎動が起きている事を初めて知ったのでした。


かの水野仁介氏の、インド料理とその料理人達への情熱の炎は瞬く間に日本中を席巻し、インド料理と言う謎めいた薄暗がりをパッと照らし、スパイスを駆使した調理法の、極彩色の魔法を鮮やかに紐解いて行きました。水野さんが主催するLOVE INDIAの為の料理研究会、私が最初に訪ねた会場は伊藤さんのスパイスカフェでした。


その時のことは今でも忘れられません。「この人達は、一体何者…」私が今まで出会ったどの料理人とも違う、異様な熱気を帯びた、全く料理人然としていない、それでいて一人一人が個性の光を強烈に放つ人々。鬱蒼と植物の生い絡まり茂る一軒のレストランに集い、怪しげな地下組織の会合のようにも見えかねない光景に、私は密かに興奮していました。


そして、ここに集う料理人達の肖像をおさめたい、と強く思いました。それ以来、伊藤さんは十年も前のポートレイトのまま変わりません。心が老いていないのだと思います。むしろ一層輝きが力強くなっているらしい、と言う事も、この「スパイスキャンプ」の撮影での驚くべき発見の一つでした。


この本はキャンプ料理の本ですから、伊藤さんは全ての料理を屋外の焚き火で調理しています。ある時は海辺に出向き、夢のようなフルコースのテーブルを撮影しました。この日は大変風が強く、食材が飛ばされたり焚き火の炎が煽られないよう、伊藤さんは断崖の陰を選び火を起こします。

骨の付いたラムラックを豪快に直火で炙り、ジャガイモをスパイスと共に揚げ、渡り蟹を割ってビリヤニを炊き込む準備をします。野外での調理は困難が付きもの。広々と片付いたステンレスの作業台も、ちょっとひねりさえすればいくらでも水を供給してくれる便利な水道も、吹きこぼれたら慌てて火を止めれば難を逃れられるガスのシステムもありません。そもそも自分たちが真っ直ぐ立っていられるような、平らな地面を見つける事すら難しいのですから。


だから余計に楽しいのです。撮影の間、私達はみんな笑いっぱなしでした(必死の伊藤さん以外は)。ハプニングが起こる度に、それが野外であると言うだけで、なぜこんなにも面白可笑しいのか。




私は伊藤さんの渡り蟹のビリヤニをどうしても、これ以上ないくらいに海を感じさせる絵にしたかったので、炊き上がった鍋を波打ち際の貝殻や海藻が絨毯のように敷き詰められた最高のポイントに運んでもらいました。午後の海は満ち潮に変わり、ひとつ打ち寄せる度に浜辺に迫ります。


波が来るわよー!と言う浅井さんの叫び声を背中に聞きながら、岩場に砕け散るしぶきの中で炊き上がったばかりのビリヤニを撮る人々。伊藤さんここで掻き混ぜて下さい!え!?ここで!?ザバーン!完全にどうかしています。


しかし本当の驚愕はこの後のことでした。無事、波にさらわれる事なく生還した伊藤さんはしばらく砂浜にしゃがみこんで、強風に煽られながらビリヤニの鍋を何やらしていました。そうして嬉しそうに立ち上がった伊藤さんの手には、美しく盛り付けられた薫り高い渡り蟹のビリヤニの一皿。出来ました!と言って風に吹かれながらニコニコしています。


コントロール不能な大自然と、こちらもコントロール不能な無謀な撮影ディレクションに、文字通りもみくちゃにされながら、伊藤さんは不平ひとつ漏らさず楽しそうに、お店で供するのと何ら変わらない美しい一皿をあっさりと仕上げてしまいました。伊藤さんて、何者…


『スパイスキャンプ』撮影後記その二へつづく…





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